オフト監督(元サッカー日本代表監督)の現在!

 


 

ハンス・オフトとは

*出典元:youtube

オランダ出身のサッカー選手で17歳の時にはオランダ・ロッテルダムのサッカークラブ【フェイエノールト】と契約し、サッカー選手として活躍していくことになります。

サッカー選手としてはあまり目立った成績を残せていませんでした。

24歳の頃からコーンチングの勉強を始めており、28歳の時に怪我をしたことで現役を引退し、オランダサッカー協会のA級ライセンスを取得しています。

1976年には、オランダユース代表のコーチとして就任し、当時、日本高校選抜がヨーロッパ遠征に来た際の世話役をしていたようです。

日本高校選抜がヨーロッパ遠征に来たことで日本との接点ができ、1982年には当時の日本サッカーリーグ2部(JSL)のジュビロ磐田の前身、【ヤマハ発動機】の短期コーチに就任しています。

2ヵ月という短い期間でしたが、1部昇格、さらには天皇杯優勝に貢献しています。

それから2年後の1984年にはサンフレッチェ広島の前身の【マツダSC】のコーチに就任しており、わずか2年でマツダSCをJSL1部に昇格させ、1987年に監督に就任し、天皇杯決勝進出という結果を残しています。

マツダSCでも輝かしい成績を残していますが、1987年~1988年のシーズンにマツダSCがJSL2部に降格したことでオフト自身も監督を辞任しています。

その後は、オランダに帰国し、【FCユトレヒト】のマネージング・ディレクターを務めていました。

 

 

サッカー日本代表初の外国人監督

オランダに帰国し、マネージング・ディレクターを務めていたオフトですが、1992年に初の外国人監督としてサッカー日本代表の監督に就任しています。

監督に就任してからは、『アイコンタクト』や『スモールフィールド』、『トライアングル』、『コーチング』などの現代サッカーでは当たり前に使われている用語を導入し、日本サッカーの基盤ともいえるものを築き上げていきました。

サッカー日本代表の初の外国人監督ということで今までにない戦術などが導入されていき、日本サッカーのレベルが上がっていき、【ダイナスティカップ】や【AFCアジアカップ】で優勝という輝かしい成績を残しています。

さらに、同じ年にJリーグが開幕したこともあり、大きな社会現象を巻き起こしていました。

1993年には、今でも語り継がれている【ドーハの悲劇】で1994年アメリカワールドカップ本大会出場を逃しています。

 

日本代表監督退任後

ワールドカップ本大会出場はできませんでしたが、1994年に【ジュビロ磐田】の監督に就任しています。

ジュビロ磐田では、優勝争いに絡むなどチームを育てあげていき、退任後にジュビロ磐田は優勝しています。

1998年に【京都パープルサンガ】の監督に就任して以降は、大嶽や山田などの当時の日本代表選手で補強を試みたものの思うような結果がでず、成績不振で監督を辞任してます。

その後、2002年に【浦和レッズダイヤモンズ】の監督に就任しています。

監督に就任した翌年には、【ナビスコカップ】を制覇し、チーム初のタイトルを取り、成績を残していましたが当時の社長との方向性の違いもあり、ナビスコカップ優勝後の記者会見で監督を退任することを発表しています。

浦和レッズダイヤモンズの監督退任後は、自身の出身国のオランダではなく、スペインに移住しており、子供たちにサッカーの指導をするなど一線を退き、ゆっくりと生活を送っていましたが、2008年にJ2降格の危機に陥っていた【ジュビロ磐田】の監督に就任しています。

降格圏内から抜け出すことができず、【ベガルタ仙台】との入れ替え戦に挑み、1勝1分で何とかJ1残留を果たしています。

J2降格の危機を救ったことで監督続投の要請もされていましたが、フロント改革の必要性を説き、監督から退いています。

 

 

ハンス・オフトの現在

*出典元:サッカー日本代表大百科

サッカー日本代表の初の外国人監督として就任し、現代の日本サッカーの基盤を作ってきたオフトさん。

2009年に【ジュビロ磐田】のJ2降格の危機を救って以降は監督としては活動していませんでした。

サッカーの監督としてはもう活動していませんが、2012年には遠藤保仁と対談を行っています。

*出典元:youtube

動画で遠藤を高く評価しています。

選手を見る目が優れている監督で【浦和レッズダイヤモンズ】時代には、全く無名だった『長谷部誠』や『鈴木啓太』などの選手を見つけ出しています。

日本サッカーの基盤を作るなど日本サッカーを成長させてきたオフトさんの現在の情報はほとんどありませんでした。

でも、【浦和レッズダイヤモンズ】の監督退任後にスペインに移住しているので今もスペインで余生を楽しんでいるのかもしれませんね。

 

 

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